それって押し付け?
どうも。最近雨のせいで研修が中止になる日々が続き、かつ現地の水道水を飲み腹を壊している倉谷です。
今日は「慈善活動」について感じたことをツラツラと書いていきます。
「社会貢献」と銘打って先進国は様々な国に支援しています。学校を建てる、途上国の人に教育をする、技術やノウハウがない人にそれを教える、人々が住みやすい環境を作る。どれも先進国の観点からみれば慈善活動として皆賞賛されるものでしょう。
だが、途上国の人からの観点で見ると全てが彼らのためになっているのか。。。
わかりません。
でも時に先進国の活動が途上国の人にとっては押し付けがましい活動になってしまっていることもあるんじゃないでしょうか。
要するに先進国の慈善活動自体が、彼らの
自己満足、価値観を押し付けている
事になっているのかもしれません。
自分たちが良かれと思っている活動は彼らからしてみれば別に必要なことではないのに、「慈善活動」と称して現地で活動をする。
それって本当に彼らのための活動なのでしょうか
僕はそうは思いません。
自分が思う「慈善活動」は彼らの真のニーズをつかみ彼らの潜在的に欲しているものを提供するもの、彼ら自身が支援から自立し行動していけるようにするための活動であると思います。
ではどうすれば彼らの真のニーズはどのようにして掴むのでしょう。
それはやはり現地に赴き彼らとの対話の中からニーズを掴むほかないでしょう。
ネットで閲覧する情報だけで彼らを本当の意味で救うことなど不可能であると思います。
そこに今の自分の研修の価値を見出しています。
僕が日本にいる時に考えていた彼らのニーズと現地で潜在的に欲しているニーズは全然違うものであり、今まで日本での段階はまだまだ自己満足の活動をしようとしてたんだなと痛感しております。
だからまず解決したい社会問題があるなら現地に行き、自ら肌で感じ、彼らの話から課題を決定し、そこから真のニーズ特定をする必要があるのです。
僕の研修先の寮には様々な国から自分と同じように研修をしにフィリピンにきている人がいます。
その中で仲のいいベトナム人と話していた時に感じたことがあります。
そのベトナム人(the君)は現地のビーチでガイドをしているそうですがあるデンマーク人から教育支援の話をもらったそうです。でも彼はその話を断ったそうです。
なんでだろう。。。と思ったのですが彼の次の言葉を聞いて納得が行きました。
「僕は十分な教育を受けているし、ちゃんと自分で稼げている、そんな支援を受けなくても生きていける。なのにその支援に頼っていたらいつまでたっても自分たちは強くなれない。僕らは支援をもらうんじゃなくてただいろんな人と関わり、楽しみたいんだ。」
その言葉を聞いて、ただ支援を日本からするのではダメなんだなと思いました。彼の真のニーズは支援ではなくいろんな人と楽しむ事。そんな人に支援をしても彼らのためにならず彼らを自立させるどころか支援なれさせてしまい本末転倒です。
こんな感じにまだまだ書きたいことはあるんですが長くなりすぎるので次回書きます。
自分たちが支援をするならまずは現地に行き彼らの真のニーズを把握しないと何も始まりません。自分が良かれと思った活動は時に彼らを逆に自立から遠ざけている活動になることを理解しなければなりません。
だから僕はここにいるんでしょうね。
↓the君ですね。
以上です。
ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。